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はじめまして!
アラフィフ現役ワーママのワクワク実体験ブログ「真昼のワタシ」運営者のMoyoです(^-^)


私は、神奈川県在住、都内勤務のワーキングマザーです。私の最大の理解者である夫と可愛い2人の子供と、4人で暮らしています。
簡単に自己紹介させていただきますね。

Moyoの自己紹介
  • 家族:エンジニアの夫、釣りをこよなく愛する高校生の長男、素直でお茶目な小学生の長女
  •  

  • 住んでいる所:神奈川県
  •  

  • :夫の両親は健在。私の父は実家(我が家の近く)にいますが病気により介護中。私の母は認知症(要介護5)で特別養護老人ホームでお世話になっています。
  •  

  • 勤務先:都内の金融機関。2回の産休・育休を経てやっとこさ勤めてきました。ふぅ。
  •  

  • 習い事きくち体操
    (記事でもご紹介しています!)
  •  

  • 特技・長年ハマったこと等
    自称中国通(中国語検定準1級)、弓道(二段)、華道、茶道、フォークギター、ベース


  • 家族と共に人生100年現役!(壮大だな~(^^;)

  • 人生100年の相棒きくち体操ウォーターオーブンヘルシオホットクック床拭きロボットブラーバマザーハウスのヨゾラ老眼鏡
    (他にも続々・・・(笑) 記事でご紹介していきます!)

「真昼のワタシ」にお越しいただいたうえ、プロフィールにまで足を運んでいただき感謝感激です。ありがとうございます♪

せっかくですので、私のことをもう少し知ってもらえたらありがたく・・・。
私がブログを書き始めた理由をお話ししますね。
 

私がブログを書くことにした理由


ズバリ、人生100年時代なのだから、アラフィフだって人生これから!と思ったからです(笑)
実は、このブログの名前である「真昼のワタシ」の“真昼”には、意味を込めています。

少し経緯をご説明すると…
人生100年というキーワードを「Life Shift」という本で知って、

「まだこの先50年もあるの!?」
「何か始めるなら今でしょ!?」


とポジティブな気持ちが、ムクムクともたげてきて・・・
アラフィフ自らのことを“真昼”とたとえてみました。
 
だって、人生100年を太陽の動きになぞらえると、アラフィフはまさにど真ん中の“真昼”だから。(*^-^*)
 
人生まだまだ長いと悟り、
「自分の人生は自分でデザインできるようになりたい!」
「人生を車に例えるなら、ハンドルは自分の手でしっかり握り、自分の目でしっかり前を見ながら、行きたいところに行きたい!」

と思いたち、まずは文章スキルアップと新しい出会いに期待して、ネットの世界にチャレンジしてみたわけです。
 

特にこれといったスキルはありませんが、「人生100年現役」という夢に向かって試行錯誤を続ける自信(!?)はあり。
いや、まだ真昼なんだから、スキルだってこれから身につけられるでしょ!
という訳で、夢に向かう体験談を共有して人と繋がっていけたらと思い、「アラフィフの視点で、読者さまのお役に立ちそうな経験を書き綴る」をブログのコンセプトにしました。
 

そろそろ、会社からは「早期退職してもいいのよ」と声がかかりそうな年代(;^ω^)。
人生100年なのに、この先どうしたらいいのか、会社人生は先行き不透明なのです。
どうせ平社員でもあり(笑)、会社に大きな未練もない…。
 

しかも、
100年現役でいられる仕事を身につけるには、早い方がいいに決まってる!
収入が減っても定年がないなら問題ない!

 
そんな風に考えまして、、、(^^;
 

サラリーマンを早期退職し、雇われない仕事にシフトすることを選択肢に、目下画策中(笑)

フルタイムで働きながら、親の介護もあり、子育ても真っ最中の「時間パンパン」状態ですが、読者さまとも情報交換しながら、人生100年現役の夢に向かって楽しみながら過ごせたらいいなぁ~と思います(*^-^*)

以下、私のプロフィールについて、腹をくくって濃度を上げて書いてみました(笑)。
あと3分ほどのお時間と少しの興味があれば、お付き合いいただければ嬉しいです。

私のストーリー(生まれてからアラフィフまでをざっくりと!)

転勤族の四人姉妹の3番目として誕生


 
私は、サラリーマンの父と専業主婦の母の間に、3番目の女の子として生まれました。出生地は東京都豊島区。
小学2年の時に妹が生まれ、四人姉妹となり、「若草物語みたいね~」「あなたはベスだわ~」と言われた回数は数知れません。
 

父が転勤族だったので、中学生までは引っ越しばかり。
東京都豊島区⇒仙台市⇒東京都大田区⇒千葉県成田市⇒大阪府吹田市⇒横浜市南区・・・と、幼稚園は途中退園(!?)小学校は3回転校中学校も1回転校しました。
そんな訳で、新しい環境にいくことが慣れっこで、「お父さん、次はどこに引っ越すの」なんて会話も当たり前でした・・(^^;
 
母親になった今、思い返すと、私の母は苦労したろうなぁと。
そういえば、転校して生活が落ち着くまでの間、母は教室に度々訪れて、そっと柱の陰から見守っていたんです!
まるで、星飛雄馬の明子姉ちゃんのよう・・・。(この例え、お分かりいただけますか?(^^;)
 

引っ越しを繰り返しながら、四人の子供それぞれを、「ちゃんとお友達作れてるかしら」と都度心配していた母に、もう感謝しかないですね・・・。
 

そんな私は、小さいころはチビでいつも一番前。
食が細い子で、当時から便秘でした(^^;
今になって思うと、便秘だったから食が細かったのかも知れません。
アラフィフになってからきくち体操と手作り甘酒で便秘を治せたのですが、便秘が治ってからは食欲が出ましたから(笑)
 
当時の夢は、父の仕事の影響もありCAになることでしたが、容姿や能力以前に身長が足りませんでしたね(^^;
(後から155cmまで伸びましたが)
 
また、小さいころから、体質的にとても疲れやすく
夕方になると電池切れのようにぐったりしていました。大人になってから、会社の健康診断をきっかけに「橋本病」という甲状腺機能低下症と診断されたのですが、きっとこの頃から症状が出ていたのかなと思います。(毎日薬を飲んでいて、今は症状を抑えられています)

 
そんな体調もありつつ、転校もあったので、中学校はあまり楽しい思い出はありませんでした。
 

神奈川県の高校~短大時代


 
父は、転勤がない部門に異動になったことをきっかけに、神奈川県にマンションを購入。私も隣駅にある高校へ進学しました。

 
もともと「疲れやすい体」ではあったものの、運動部に入りたくて「弓道部」に入部。
ハードな運動部は無理でしたが、「動く文化部」と呼ばれる弓道ならできそうと思ったからです(^^;
そんな具合に気軽に始めた弓道ですが、それはもう楽しくて仕方なく。
弓道って、精神的なスポーツで、「的に当てること」がすべてではなく、矢を射るまでの立ち居振る舞いや呼吸等、禅の世界が息づいているのです。
そんな道場の空気感が大好きで、朝練も夕練もほぼ毎日していました。
 

更に、バンド活動にもはまりまして・・・(;’∀’)
2つのバンドでベースを弾いていましたよ。
爆風スランプ、BOOWY、シーナ&ロケッツとか(時代がバレバレ笑)
普通っぽい私がバンドをやっていたと言うとかなりの確率で驚かれるのですが、仲間と音を合わせた時の快感はものすごく充実したものがありました。
 

「あれ?勉強はいったいいつしてた??」
と思いますよね(;^ω^)
 

そんな状況でしたから、受験勉強には自信がなく(^^;、某短期大学に指定校推薦で入学。
当時はバブルでしたから、就職を優先して短大を選びましたが、今思うと、もっと頑張って四年制大に行っておけばよかったとちょっぴり後悔しています。
まぁ、四年制大に行っていたら、バブルが弾けていたので、今の会社とのご縁もなかったかもですが。

 
短大に入ると、第二外国語中国語とフランス語を選択。語学を頑張りたいと思い、音フェチ気味でもある私は、発音が美しいと思った言語をまずは2つ取ってみたんです。
そこで、フランス語は私には難しすぎて1学期で離脱。逆に、中国語は漢字なのでとっかかりやすくハマってしまい、本業の学科よりも中国語の勉強に力が入るほど。
 

中国語って、音に高低があって、まるで歌っているみたいなんですよね。感じ方は人それぞれだと思いますが、私の場合は、本場北京のTVのアナウンサーが話す言葉に、ウットリ聞き惚れてしまうほどの魅力がありました・・・。
中国語にハマりながら、台湾や中国の友達を通じて中華系の文化にもどっぷりつかる日々でした。
 
台湾、北京、上海、香港・・・旅行も行きまくり!(笑)
ちなみに、このページの夜景の写真は、私がこよなく愛する上海の外灘(バンド)の風景です♪
 
この時の中国語熱が、後から子育てにも影響してくるとは当時は全く気づきませんでしたが・・。
 

某金融機関にバブル期入社~結婚


 
短大を卒業後、東京銀座にある中堅金融機関一般職として入社し、本社に配属されました。
当時、女子は職場の「飾り」のような時代。
仕事といえば、部長のワープロ打ち、コピー取り、お茶くみ等が中心で、気は楽だけどやりがいはなく。「何か違う」とずーーっとモヤモヤしていました。
自分は、総合職になるほどの気骨はなかったけど、ただの飾りには満足できなかったんです。

 
そんな煮え切らない毎日を過ごす中、
手に職をつけて転職すればいいんだ!」
と思い立ち、仕事をしながら夜間の中国語学校へ通うようになります。始めは第二外国語で学んだ2年間の続きのような内容でしたが、上級クラスに上がり、通訳養成学校にも通うようになりました。
 

当時は通訳になるという夢を持っていましたが、通訳として転職できるほどの極みには至らず(-_-;)
結局会社に留まることにしましたが、中国語は、コミュニケーションにはほぼ困らないレベルにはなっていました。
 

そんなOL時代の私が後のとなる理系大学院生と出会ったのはその頃です。
自分のPCに特殊なOSを入れてもらったのがきっかけでお付き合い、結婚へ至りました(笑)(その後、夫は某メーカーに就職)
 

夫に初めて会った時は、夫の髪はボサボサで、服装はおしゃれっ気ゼロ。真夏で汗も流れていたので、第一印象は最悪。(笑)
でも、そんな彼は、心の根っこがとっても温かいことが分かり。また、苦労人でもあるからか、「立派な青年だ」と父がすごく気に入ってもくれて。人生って不思議ですね~。
 

1人目出産、産育休とり復職


 
当時は、まだ産休を取る女子社員がほとんどいなかった時代。少なくとも本社では私が第1号でした。
体力をつけるためマタニティスイミングに通いながら無事に長男を出産し、職場の理解を得て、復職しました。
マタニティスイミングは産院が主宰する無料のものだったんですが、陣痛が始まる3時間前にもプールで泳いでいましたよ。がっつり、400メートル位泳がされてました。
 

あっ、長男を妊娠中に、産婦人科で便秘薬を処方され、薬で便秘が解消される喜びを知ってしまったのもこの頃です(^^;
 

産後はゼロ歳児からでないと保育園に入れないため、早々に復職せざるを得ませんでした。
でも、認可保育園に入れず、保育園難民を経験。入園から卒園までに3ヵ所に通うことになり長男には負担をかけました。
当時の家は駅から15分かかり毎日を回すのが大変だったので、実家近くの駅のそばに引っ越しまでしましたよ。
 

そんな頃、実母認知症の症状が出始め・・・。当時母はまだ60代半ば。早すぎる発症でしたね。
我が家は私の両親の家のすぐ近くだったのですが、母は子供をとても可愛がってくれたものの、赤ちゃんの世話の仕方は忘れてしまっていて。四人も子育てをした母なのに、孫の扱いにおろおろするばかり。一番悲しかったのは母本人だと思います。
その代わりのように、父が保育園の送り迎えを手伝ってくれたのはとても有難かったです。
 

その後、母の認知症はスロープを降りるようにゆっくりと悪化。
焦燥感が増して、外に飛び出して戻れなくなり警察のお世話になることも。
やがて歩くこともできなくなり、母を見守る父の負担も徐々に重く・・・。
私たち姉妹も交代で手伝いながら、10年以上も実家で介護をしました。
今は特別養護老人ホームにお世話になっていますが、愛する母を囲み、父と四人姉妹の結束が一層強まったのもこの頃です。
 

会社が合併!?


 
私の勤務先の会社が、なんと、大手の会社と合併することになり。
私は合併先の会社の本社勤務となりましたが(今の勤務先と同じです)、女性もバリバリ働く社風で、元の会社と比べると、まるで転職したような変化でした。
同じ業界なのに、文化は全く違っていて。慣れるまでに一苦労で、ストレスで潰れそうになる日々。
 

でも、素晴らしい先輩との出会いに救われ、何とかやっていけるようになりました。
中国語に関係する業務にも携わることができ、コスト削減プロジェクト等も任せてもらえるように。やりがいを感じながら仕事ができるようになりました。
(3~4年で異動がある会社なので、中国語に関係する仕事は残念ながら4年で終わってしまいましたが)
 

この頃、新しい会社の健康診断で、自分が橋本病(甲状腺機能低下症)であることが発覚。
(合併の会社の健康診断は、検査項目が少なく病気が見つからなかったんです(^^;)
定期的に専門の医者にかかって、毎日薬を飲むようになりました。
ついでに便秘薬も毎日処方してもらうようにもなりました・・・。(記事にも書きましたが、これが長年続き依存症に(^^;)
 

30代半ばのこの頃、カフェインアレルギー花粉症口紅アレルギー脂漏性皮膚炎等を発症し、体質の変化を感じるようなことが相次ぎました。
 

また、長男を中国語系の小学校へ入れることに。
諸事情ありましたが、「中国語は子供の将来に役に立つ!」と強く思ったからで、反対していた夫も、後から賛成してくれました。
長男は小学校6年間で、中国語により「耳」が鍛えられたようで、いつの間にか英語も苦労なく聞き取れるように。(英語は習ったことなく勉強もしていないのに!)
高校生の今、日・英・中の3か国語を話せるようになっています。
 

2人目出産、産育休とり復職~現在

アラフォー長女を出産し、復職しました。
長女は長男と違い、甘えん坊で、人を巻き込むのが上手(笑)
何をするにも「ママ、一緒に!」とべったりでした。
そこがまた可愛いものの、その頃長男は学童に行きたがらず、2人の子育てと仕事、母のことで疲れ気味の毎日。
また、異動の多い会社の宿命で、新たな仕事を覚える必要もあり、へとへとでした。
 

そんな中、長男が男子校の中高一貫校に行きたいと言い出し。
長男の中学受験も重なってきました。
中国語系の小学校は宿題が多く、息子にとっては塾と学校の両立は大変だったと思います。
(今の男子校が楽しすぎて、本人は「受験して良かった」と言っていますが)
 
 
余談ですが、これは高校生の長男が最近作ってくれた鯛の姿盛りです(笑)
釣り好きで、魚をさばくのも大好き(笑) あっ、これは買ってきた魚ですけどね~。
 

現在は、素直で可愛い長女も、長男と同じ中国語系の小学校に入学し、がんばって通っています。そうそう、この小学校は給食がないので、私もがんばり、ほぼ毎日お弁当作ってます(^^;
 

そうこうしているうちに、難病にかかり認知症の実母は特別養護老人ホームへ。
今は、父が要介護5ながらも実家で暮らしていて、昼間はヘルパーさん、夜は姉妹で交代でお世話をしています。
一人ではなく姉妹で力を合わせて乗り切れていて、四人も子育てしてきてよかった・・・と思ってもらえてるかな!?
何はともあれ、家族の大切さをひしひしと感じる毎日です。
関連記事⇒(父が足だけ出演!?しています)きくち体操の本おすすめ:足の裏を刺激して一生歩ける体に!【介護にも】
 

「人生100年現役」の夢ができる


 
人生100年と言われる時代になり、介護状態の両親を見つめながら、
「本当の幸せって何だろう」
と考えるようになった私。
 

家族の絆、友人や共感できる人とのふれあい人の役に立つこと、、、
 

思い浮かぶこと全部、人との繋がりだなぁと実感。
決して、お金だけじゃないんですよねぇ。(お金は墓場に持っていけませんしね!)
 

そして、「きくち体操」と出会い、自分の意識と自分の体を繋げる大切さを知りました。
自分と自分を繋げるって、これも究極の「人との繋がり」だったのに、きくち体操を始めるまでの間、それがすっかり念頭になかった私。
家族を大切にするなら、自分自身も大切にしなければと気づいたんです。

 
今まで、家事育児、仕事等のことにドタバタで、振り返ると
「ひえーーー、あっという間にあれから何十年!」
と光陰矢の如し。
このままでは、気づいたら70歳、80歳・・・、でも「家族の絆、人との出会い、人のお役に立つこと」は手薄のまま終わってしまった!となる自分が目に浮かぶよう(^^;。
 

そんな後悔はしないよう、意識を変えて、新しい生き方にシフトしたいと思うようになりました。

時間に追われる生活から解放されるため、「便利家電」を購入したり。

共働きの家事に役立つ便利家電は?我が家の殿堂入り4選を大公開!


 

「100年持つ体」を目指し「きくち体操」の教室に通ってみたり。

きくち体操の教室ってどう?生徒の私が感じた効果と月謝等の生情報


 

気分を上げる普段使いのものを買ってみたり。

マザーハウス ヨゾラの口コミ!永く愛用できる軽い革バッグの魅力とは


 

歯列矯正を始めてみたり。

歯列矯正の値段は高い!と諦めていた私が考えを180度変えた訳は?



 
自分を高めるを読んでみたり。

メモの魔力でメモ帳を相棒に!人生を再考するアラフィフに勧めるワケ




答えは走りながら見つけよう・・・と言わんばかりに、小さな変化&進化!?を続けます!
 
ちなみに、私の当面の目標は、「人の役に立つ文章を速く書けるようになること」
だって、人に伝わる文章をスピード感を持って書けるって、人生100年現役のために役立つ技だと思うからです。

その割には「ブログの更新が遅い!」とお叱りを受けないように頑張ります;^ω^
応援していただけたら嬉しいです!

*****

以上、私のプロフィールにお付き合いいただきありがとうございました。
こんなに自分のことを書いたのは初めてで、お恥ずかしいΣ(゚∀゚ノ)ノキャー
だったらアップするな、と言いたいですが、何はともあれお読みいただき感謝します。

もし何か感じていただけましたら、コメントいただけると励みになります。
どうぞ、よろしくお願いいたします(*´▽`*)♡


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