
「中国の九塞溝地震ってどんな感じだったの?」
「海外で災害に巻き込まれたらどうなる?」
こんにちは!“自称”中国通の、
アラフィフ現役ワーママの実体験ブログ真昼のワタシ運営者のMoyoです♪
中国の九塞溝(きゅうさいこう)って知っていますか?
九塞溝は、中国四川省にある世界遺産で、「一生に一度は行ってみたい絶景」といわれる場所。
前回の記事では、8月に九塞溝にツアーで行ったことと、ツアーを決める前に気を付けたい注意点を書きました。
今回は、実際に地震に遭遇した体験談について、写真や動画を交えてお話しします。

「ハイ。そりゃぁ大変でしたよ。」

ではまず、九塞溝へ向かう前に地震の予兆は始まっていたことからお話しします。
家族で九塞溝へ!四川省の成都からバスで向かうときの異変とは?
我が家が家族旅行で九塞溝に出発したのは、歴史的な大地震に見舞われる2日前、2017年8月6日の夜。
上海から中国東方航空の国内線で、21時に出発して3時間半。
夜中の1時頃にホテルに到着して、数時間だけ眠り、予定の朝8時にホテルのロビーへ。
今回は中国の現地ツアーに参加したので、他の中国人ツアー客と一緒に観光バスで現地に向かうんです。
8月6日の日程表はこちら。
上海から成都に飛行機で向かってホテルに泊まることが書いてあります。
(中国語のため雰囲気のみ)
ちなみに、出発地点の成都は大都会。
格好いいビルがたくさん建っていました。
実はここから、小さな異変は始まっていました。
出発時刻になっても、バスが到着しないんです。
ホテルに入った連絡によると、バスが向かうルート上でがけ崩れがあり、迂回しているので遅れるとのこと。
飛行機の疲れも取れないまま、いつ来るか分からないバスを待ち続け・・・
ようやく2時間遅れの10時にバスが到着。
「やっと来たかー」
と思いきや、、、
ガイドさんからの説明によると、
「九塞溝に向かうルートでもがけ崩れあり!予定の道ではない迂回ルートを通って行きます」
というのです。
推定乗車時間は何と12時間(^^;
普段でも10時間かかるところ、プラス2時間です。Σ(゚∀゚ノ)
ちなみに、予定していた8月7日の日程表はこちら。
成都から、ラベンダー畑に寄って、九塞溝のホテルに泊まることが書いてあります。
迂回ルートを通ることになったため、途中で寄るはずの
- 美味しいお店のランチ
- ラベンダー畑
には行けず!
やむを得ず入った悲惨なお店でランチをしたりしながら、ひたすら山道を登るのでした。
(悲惨なお店・・・これも十分なサバイバルでしたが、本題の地震に話を戻します(;^ω^))
この迂回ルートを通ることになった「がけ崩れ」は、大地震の予兆だったと思われます。
成都から九塞溝へのバスルートは、距離にして約430km。
東京から京都位の距離でしょうか。
九塞溝へ向かう山々は2000~3000m級で、バスもけっこうスピードを出すので、まるでジェットコースターのよう。
成都と九塞溝の位置関係は、地図ではこんな感じです。
九塞溝は赤い印のところ。
そして、成都はその真下にあたる端っこのほうです。
見えにくいですが、険しい山々の中にある雰囲気だけでも感じてください・・・(;^ω^)
続いて、九塞溝に到着してから地震に遭遇するまでのお話です。
九塞溝の観光とマグニチュード7の大地震発生!
8月7日の夜10時半頃、ようやく九塞溝に到着。
ホテルのレストランで、何とか食事ができました。
あまりの長時間のバス旅に、気分が悪い人が続出・・・。
詳しく書くのは避けますが、修羅場的な様相になってました(^^;
翌日8月8日の朝。スカッと晴れた青空!
バスで九塞溝の景観地区に入ると、欧米系の5つ星ホテルもあり、街はキレイに整備されていました。
九塞溝の観光は、ディズニーランド並みの大混雑の中(;^ω^)でしたが、何とか無事終了。
九塞溝って、一生に一度はいくべき絶景でした・・・
ちなみに、湖はこんな感じでした。
水面と湖底の区別がつかない・・・
こんな魚がくっきり見える湖も。
この湖は、地震発生後決壊して湖底が見えてしまったそうですが・・・。
こんな美しい滝も・・・
ここも、地震により水がなくなったようですが・・・。(´;ω;`)
絶景の写真はたくさん撮れましたが、地震前の美しい姿を収めた最後の写真となってしまいました。

話を戻します。
私たちは、丸一日、美しい九塞溝を観光してヘトヘト。


夕食後、そんなことを言いながら、部屋で子供たちとくつろいでいました。
夜9時19分。
私はベッドで「はじめてのきくち体操」の本を読みながら、足首を回していました・・・
(余談ですが、この後数か月後にきくち体操の教室に通い始めた私(^^;)
突然、ぐらぐら!!
下から突き上げるような縦揺れが!
30秒くらいだったでしょうか。
ゴーという音とともに、立っていられないほどの状態に。
電気が消えて、とっさに小学校低学年の長女をたぐりよせ、恐怖で声も出ず身を縮めるのみ。
中3の長男は、
「頭を守れ!」
と怯える私たちに冷静な指令を飛ばします。
揺れが収まってから、ほぼ真っ暗の部屋の外に非常灯の明かりが。
とにかく脱出しなきゃ・・・
私は荷物をまとめ始めましたが、
「そんなことしてる場合じゃないだろーー。余震で建物崩れたらどうするんだ!急げ!」
と息子にどやされ(^^;
非常灯の明かりを頼りに、周囲の部屋の人たちと同じように中庭へ急ぎます。
廊下の壁は無残にはがれおち、水道管が破裂して水が噴水のように吹きあがっていて。
お洒落な内装のホテルが一瞬にして廃墟のよう。
非常階段の一段一段にも、大きな壁材が横たわり、歩くのも困難。
「大丈夫かー!」
「足元に気を付けて!」
と声を出しながら、一刻も早く外に出なければと必死でした。
大きな荷物は部屋に置きっぱなし。
頭を守るための枕と最低限の物を持って。

でも、後から夫が戻った時にはドアが閉まっていて、荷物は取り出せませんでした。

ようやく中庭に出ると、ホテルの宿泊客は全員避難していました。
ここは地震に慣れていない中国。
宿泊客はほぼ全員中国人のようで、安否を気遣う中国語が飛び交い。
恐怖で泣く女性が何人もいました。
ホテルは倒壊の危険があるためそのまま立ち入り禁止に。
私たちを含めた宿泊客全員は、どうしようもなく、自分たちの観光バスで泊まることになったんです。
続いて、バスでの宿泊と山からの避難についてお話ししましょう。
九塞溝地震の後の不安な一夜
真夏の九塞溝は、日中は汗をかくくらい暑かったですが、夜は寒い!
夜が深まるにつれ、ダウンジャケットが必要なほど。
スーパーが開いているという情報を聞きつけて、夫が買い出しに行ってくれました。
水とビスケット等を購入し、まずは一安心。
寒さ対策のため、上着も買ってきてくれました。
さらに、ホテルの従業員と思われる地元の少数民族(チベット族)の方々が、毛布やズボンを貸してくれました。

トイレは近くの草むらでするしかありません。
もはや恥ずかしいとは言ってられない!
私と娘で、手をつないで暗がりの草むらに入り込みます。
夜だから見えないのが幸い。
電池が残り少ない夫のスマホで、何とか日本大使館に無事を連絡。
職員の人は、
「大丈夫ですか?けがはありませんか?」
と親身に聞いてくれました。
心の中では、ヘリで救出に来てくれるのではと期待しましたが、そんなことはありませんでした(^^;
夜中の2時頃、ようやく警察が到着。
各バスを回って、けが人がいないか、全員いるか等をチェックしています。
その時の動画はこちら。【50秒】
※動画で聞こえる声は、我が家の近くにいた中国人です。
その後、よく眠れないまま朝を迎えると・・・。
周囲の山々で、至る所でがけ崩れが。
この写真は、私たちの観光バスが止まっていた広場。

雷のような大きな音が聞こえると、山の上では土煙をモクモクさせながら土石流が。
私たちのいるホテルの中庭だって、いつ土石流がたどり着くか分かりません。
ぞっとしました。
そして、朝ということは、トイレと化していた草むらもよく見えるということ!(≧∇≦)
草むらに行くと・・・
あちこちにしゃがむ人の姿が(^^;
地面にもあちこちに、用を足した形跡が(;^ω^)
どうしようもありません。被災するとはこういうこと。
モノを踏まないように、人がいないところをなるべく選んで、用を済ませる私たちでした・・・。

朝のうちに、歩いて15分ほど離れた場所で、おかゆの炊き出しが始まり、並びに行きました。
おかゆの炊き出しは、現地の人が自主的に始めてくださったものです。
その時の動画はこちら。【20秒】
さて、一体この先どうなるのか・・・
都会から10時間かかる山の中ですから、このまま1か月位は日本に帰れないのでは、と真剣に思いました。
生きていけるかな・・・
これだけの大勢の人たちが過ごせるだけの食べ物はあるんだろうか・・・
厳しい見通しが頭をよぎります。
続いて、山を脱出するまでのお話です。
24時間以内に九塞溝の山から脱出せよとの指令が
朝10時位だったでしょうか。
警察から、国の非常事態宣言みたいな情報が入ってきました。
「24時間以内に全員避難し、九塞溝エリアを封鎖する」
訳が分からないまま、バスに乗って、出発を待つことに。
九塞溝エリアには、前日に九塞溝で見たあの人々が全員いるはずです。
あの人々とは、前回の記事でもご紹介した、ディズニーランド並みの人数感・・・
余震の度に「ガラガラ」と大きな石が落ちる音が聞こえる状況の中、無事に帰れるの!?無茶なんじゃない!?と戦慄が走ります。
案の定、各ホテルからのバスは数珠つなぎ状態。
しかも、土砂崩れが至る所にあり、道路に落石がある箇所は降りて徒歩で通過するとのこと。
バスを降りて歩いている様子はこんな感じでした。
動画はこちら。【30秒】
後から知ったのですが、当日九塞溝エリアにいたのは観光客3万8千人と、ホテル従業員等を合わせた6万人。
なんと、観光バスは8千台!!!
こんなに大勢の人や車を2~3千メートル級の山から降ろすのは容易ではありません。
国家レベルの救助体制はいかに・・・!?
避難には至る所で人民解放軍や警察が安全に誘導していて。
様子の分かる短い動画はこんな感じです。【15秒】
歩いて通過する山崩れの難所では、怖がる娘を見た警察の人が中国語で、
「小朋友,我来背你!(お嬢ちゃん、おんぶしよう)」
と、爽やかな笑顔を見せながら、背負って渡ってくれました。(感動)
高齢者も、手を引いたり、背負ってもらっています。


難所を超える時、夫が撮ってくれたビデオがこちら。【30秒】
見づらい映像でごめんなさい。
でも、それだけ必死だったんです。
難所を渡っている間にも、遠くから雷のような土石流の音が。
巨大な石がいつ上から落ちてきてもおかしくない状況でしたから。
心臓はバクバクいってましたよ。
動画の中で拡声器で誘導する声は、警察等の救助側の人。
「安心してください!大丈夫!安全に渡れます!」
と私たちを含めた被災者を励ましています。
徒歩で渡った後にも別の車が控えていてくれたり。
救助する人たちの計算された行動とホスピタリティに、被災者としては涙が出そうになるのでした・・・。
どこの国でもそうかもしれませんが、中国の救出プロジェクトは、規模と救助側の優秀な仕事ぶりが凄まじかった・・・
そんなこんなで、一体何時間かかったか分かりませんが、こんな巨大な落石現場を間近で通過しながら・・・
やっとこさ、下山完了。
本来は九塞溝に2泊して、黄龍(こうりゅう)という場所も見る予定でしたが、結局、九塞溝には1泊&バス1泊となったのでした。
ちなみに、本来の予定表はこちら。(中国語のため雰囲気のみ)


後から知ったのですが、この地震で5つ星ホテルの観光客を含めた19人が死亡。249人が怪我をしたそうです。

お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りします。
散々な目に逢いましたが、命の大切さと、非常時の行動や日常の備えについて、深く考えさせられる貴重な体験となったのでした。
最後にまとめてみましょう。
まとめ
今回お伝えした主な内容は、以下のとおりです。
- 2017年8月8日に、家族で中国の世界遺産「九塞溝」を旅行中に、マグニチュード7の大地震に遭遇!
- 強い縦揺れの後、電気は消えて水道管も破裂、壁が落ちてくる中、外へ避難!
- 建物は立ち入り禁止になり、観光バスで一夜を明かす!
- 翌日、国の非常事態宣言のような形で、九塞溝の山から6万人が大脱出!
- 危険な道を歩いて渡る中、中国の国家プロジェクト級の救援活動に感動!

人生100年時代とはいえ、何が起こるか分からない~( ;∀;)
あれ?ここで大事なことが!
ホテルの部屋に置き去りになった荷物たちは??
実は、帰国後に海外旅行保険の「携行品損害」に該当するのではと気づき・・・。
その話はまた次の記事でお伝えしましょう!

以上、『九塞溝で大地震に遭遇!不安な一夜と6万人大脱出の体験談【動画あり】』のお話でした。
九塞溝に置き去りになった荷物については、次回につ・づ・く♪
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